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12-08 中島義道『ヒトラーのウィーン』 [本]

今日は(あ、いえ、もう「昨夜は」ですね)、新国立劇場の『ドン・ジョヴァンニ』を観てきました。

タイトルロールのバリトン、マリウシュ・クヴィエチェンをはじめ、バス、バリトンの男性陣の競演という感じ。
クヴィエチェンさんの声の質、これぞバリトン。好みである。

騎士長の妻屋秀和さん、当然のごとく素晴らしいけど、レポレッロの平野和(やすし)さんがクヴィエチェンに負けずの存在感で、拍手喝采でした。

女声ではドンナ・アンナのアガ・ミコライさん。
この人が歌うときだけ、時間の流れ、空気の色がふっと変わって、この人だけの舞台になる。
そんな感じ。
聴き手に訴えかけてくる力が半端ではありません。

**********

先週、読んでいたのが、中島義道さんの『ヒトラーのウィーン』。

ご専門の時間論などの哲学書は、すみません、読んだ経験がないのです。
『ウィーン愛憎』『うるさい日本の私』など、エッセイの分野でも強烈な印象を残す文筆家です。

で、この本。

なんと言っても、店頭で見て即買いをしたのは、この造本。
さすが新潮社というべきか。
このカバー、この化粧扉、本文の組み方、挿入される写真の選び方とキャプションの付け方。

単行本でなければ味わえない、本作りの醍醐味を感じさせてくれます。

加えて、序文の中島さんの書き出しに、すでにがつんと惚れてしまいました。
これ、書けそうでなかなか書けないと思う。
さすが手練れの文章という感じ。


このところ、新書をはじめ「売らんかな」の粗雑な本ばかり読まされてきて、何か殺伐な気持ちになっていたので、こういう本は持ち歩いているだけで嬉しい感じ。


ところで、テーマとしては「嬉しい」なんて簡単に言ってはいけない本です。

クラシック音楽といえばウィーン、そのウィーンは、あのヒトラーを育んだ街でもある。

育むといっても5年ちょっとしか居なかったのだけれど、その5年が17歳からの5年、しかも、生涯初めて惨めな体験をつぶさに味わわされた5年ともなれば、のちのちに及ぼした影響は少なくなかっただろうと想像できます。


ウィーンは、中島さん自身が、若き日に苦悩の日々を過ごした街。
その経験が、ヒトラーの心の足跡をたどるという本書の企画の始まりだったようです。


あちこちに啓発的な文章がありますが、たとえばこんなところ。

世界の構図をすべて逆転してでも自分を救うことは〔ヒトラーにとって〕「義務」なのだ。そのために必要なものなら何でも利用する。……(中略)……ヒトラーは、〔サルトルの言う〕「形而上学的自負心」の巨大な塊であった。それが、究極的には、彼の異様なほどの「成功」の原因でもあり異様なほどの「失敗」の原因でもある。〔164-165頁〕


もう一つ、ヒトラーにとって重要だった街がリンツ。
ここはまたブルックナーの「聖地」でもあって……

というわけで、クラシック音楽に興味のある人にとっても、多分、非常に面白く読める本(と思う)。


余談ですが、ヒトラーの誕生日は4月20日だそうで、ちょうどその日に、それに触れた箇所を読み、ちょっとぞくっとしました。



ヒトラーのウィーン

ヒトラーのウィーン

  • 作者: 中島 義道
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/01/18
  • メディア: 単行本



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11-25 鶴我裕子『バイオリニストは肩が凝る』 [本]

お久しぶりです。

今年の夏は「節電」。不景気だというのに、やたらに長い盆休みとなりました。

休みの前は必死の形相で仕事。
休みに入ったら廃人同様でゴロ寝。

でも、長野の澄んだ冷気のなか、少し人間らしい気持ちを取り戻して、仕事場に帰ってきました。

*****

この本は2005年刊。副題「鶴我裕子のN響日記」、出版元はアルク出版企画。

ずいぶん長いこと大型書店では平積みのまま売られていて、きっと評判いいんだろうなぁと気になりつつ、手を伸ばさないままでした。

長野にいる母が、「読むものがなくなった~ 何か本もってきて」と言うので、こういう本なら喜ぶかもしれぬ、と思って購入。
ついでに読んでみたら、ものすごく面白かったです。
(母はもともとピアノ弾きで、音楽の本もよく読みますが、なにしろ、ちょっとでも小むずかしいことになってくると「面白くない」とバッサリ。読みそうな本の選定がなかなか難しいのです。)


手許の本は2007年、第4刷となっていますが、これは確かに、売れるでしょうね~

こういうのを読むと、やっぱり、自分で音楽をやっている人の音楽論は面白いなぁ、と改めて思います。
研究者、評論家、歴史家……それぞれの音楽論の面白さはあるけれど、体感的に、生理的に、深ーく納得できるのが、音楽家の発言。

身ひとつで舞台に立ち、高ぶったり卑屈になったり、大失敗をやらかしたり、喝采の至福の瞬間を体験するかと思えば不当な非難も浴び…… そういう経験をみずからしてきた人の音楽論は、ほかには代えがたい含蓄がありますね。

ただ、言葉での表現能力を合わせもった音楽家はとっっっても少ないから……
そして、表現のしかたも独特だったりするから……
(特に日本人の音楽家はその傾向が強い。)

音楽家って何も考えてないおバカではないか。
と世間の人に思われているらしいのが、ちょっと(かなり)残念です。


鶴我さんの文章は、まず細かな表現の部分で思わずのけぞる面白さ満載なのですが、たとえばグレン・グールドについての感想、イヴリー・ギトリス礼賛など、実に深い。感心。共感。
このひといいなぁ、と思ってしまいます。

たとえばこんなとこ(サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番についての項)。

サン=サーンスは、お手軽な作曲家と思われているかもしれないが、「耳に快く、すぐにわかる」ことは偉大な長所である。「むずかしい」のは欠点であろう。理にかなっているから、すっと心に入ってくるのだ。私は、きれいな、甘い、ロマンチックな、粋な、疲れない、あたたかい音楽が好きだ。苦労しないお金も好きです。


はーい。私も好きです。
と、思わず心で手をあげながら、読みました。

まだ読んでいない方、お勧めですよ。



バイオリニストは肩が凝る―鶴我裕子のN響日記

バイオリニストは肩が凝る―鶴我裕子のN響日記

  • 作者: 鶴我 裕子
  • 出版社/メーカー: アルク出版企画
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 単行本



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11-21 ティク・ナット・ハン『怒り』 [本]

は~ 怒濤の1週間が終わった。

今週は台風で週が明け、1冊、本を校了するので終わりました。

バンザイ!と言いたいけど、あまりにバタバタ校了だったので、何か事故が起きやしないかと心配のほうが大きく、あんまり手放しで喜べません……
来週くらいに、じわじわ嬉しくなるかも。


週の半ば、あまりの仕事量と、それをさばききれずたくさんの人を待たせて迷惑をかけている自分に、体力よりもメンタル面で先にへこたれそうになりました。
なんとか、底まで落ちずにすみましたが。


こういう状況だと、へこたれつつ、ワケもなく怒りが湧いてきてイライラすることも多々あり。
で、こんな本を取り寄せて読んでみました。


なんだか最近、ますます宗教がかってない? と言われそうだけど。

でもこれ、本当にいい本です。
通勤の車中でずっと読みつづけていたことで、ずいぶん、助けられました。
ヘコタレを持ち直すことができたのも、多分、この本のおかげです。

*****

ティク・ナット・ハンの2001年の著作。
『怒り――心の炎の静め方』(Anger: Wisdom for Cooling the Flame.)


タイトルどおりの内容で、あちこちに啓発的な言葉あり。
読んでいてとても刺激的だったし、学ぶことが多かったです。
ブッダの教えを基盤にしていますが、どんな宗教の信仰者でも読めるように、慎重な配慮がなされています。
翻訳(岡田直子さん)もとてもていねい。


私はとくに第9章の「地下室と居間」のたとえが好きです。

「怒りなどの内なる形成物は、潜在意識、つまり地下室に種(タネ)の形で置かれています。そしてあなたがこの怒りの種に触れる何かを見聞きしたり、読んだり考えたりすると、それは顕在意識、つまり居間に上がり、その姿を現します。」

「すべての心の形成物は循環する必要がありますが、私たちは痛みを感じたくないため、不愉快な形成物をどこかに閉じ込めておきたいのです。……だから私たちは日常生活で、テレビ、本、雑誌、会話などで居間を客人でいっぱいにしておくのです。」


本や雑誌や会話の代わりに、今は、ゲーム、インターネット、携帯電話…なのでしょうね。


こうして日々、目をそらしている「不愉快なもの」がふいに居間に上がってくると、私たちはどう扱っていいかわからずパニックを起こしてしまい、ますます事態を悪くする、とハン師は言っています。

「そいつ」が突然、姿を現したとき、では、どう対処したらよいのか?
苦しさを乗り越えて、ポジティヴな方向に転換させることはできるのだろうか?


その方法を、ハン師は懇切ていねいに説いていきます。

多分、これを本気で実践したら、人間は変われると思う。
自分を変えるというのは、とても難しいようでいて、実はとてもシンプルなことなのかもしれない、と思わされます。



怒り(心の炎の静め方)

怒り(心の炎の静め方)

  • 作者: ティク・ナット・ハン
  • 出版社/メーカー: サンガ
  • 発売日: 2011/04/13
  • メディア: 単行本



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11-15 『ふしぎなキリスト教』 [本]

毎日、しめっぽいですね。
今年は、あまり雨量が多かったり大きな台風が来ないといいな、と思います。
被災地がますます大変になってしまう……

今日は職場で送別会がありました。
とても好感をもって、頼りにしていた後輩が退職。
ちょっと寂しい雨の夜になりました。
でも、いつかまた、どこかで会えることもあるでしょう。
元気でいようね~ お互いに!


本を読み音楽を聴く生活に戻りたいと思い、ちょっと努力をして、行き帰りの電車で読書を始めました。

いま読んでいるのはコレ↓

いろいろ考えさせられて、面白いです。

頭で理路整然と宗教を捉えようとするとこうなる。という感じ。
音楽体験と同じで、宗教ないしは信仰の体験を、言葉だけで整理することの不可能性というのか、隔靴掻痒の感覚を強く感じさせられる本でもあります。

なぜ隔靴掻痒と感じるのか、そのゆえんをまた言葉で説明できるものかどうか、自問自答しながら読み進めています。



ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 作者: 橋爪 大三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/05/18
  • メディア: 新書



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11-8 ナウエン『静まりから生まれるもの』 [本]

停電の影響もあって出退勤の時間はゆるやかですが、15日(火)頃から、通常通りの仕事を再開しています。

被災地の人たちの現状と悲しみ苦しみ、身を挺して救助・支援にあたり、原発事故に対応している人たちを思うと、ふだんの生活に戻ることに罪悪感すら感じます。

でも、戻らねば。
今ここでできることは、限られているから……
何かあれば即応できるように、今は、自分の生活を立て直すとき。
そんなふうに言い聞かせています。


この本は、しばらく前に「ナウエンはいい」という話を聞いて、取り寄せておいたもの。
今まさに、読むべき本と思いました。

本当に、心底から、誰かのために何かをしたいと思ったら、自分を律することから始めること。
感情に流された行いは相手を傷つけるだけ。
そういったことが、シンプルな優しい言葉で語られています。

わたしたちはつい、他人を救うこと、それが目に見える成果となって現れることにばかり注目してしまいます。逆に、本当のところやりたくないのは、痛みに共感したり、苦しみを共に苦しんだり、傷つき打ちのめされることを共に味わうことなのです。本当の愛を伴わない行いは、冷たい心で与える贈り物のように、それを受け取る人の尊厳を損ないます。

〔本書の翻訳は素晴らしいものですが、ここでは文意をくみ、翻案させていただいています。〕


私はクリスチャンですが、こういうとき、被災した人たちに何を言えるだろう、と先週以来、ずっと考えてきました。

よく、「神は耐えられないほどの試練は与えない」と言われます。
でも、私はひそかに、そんなことはない、時には、耐えがたいほどの苦しみを負わせられることもある、と思います。

「何もかも神のご計画である」ということも言われます。
でも、耐えがたい苦しみを負っている人に対し、これほど残酷な言葉はありません。
「天罰だ」などという言葉が、苦しみの渦中にいる人の心をどれだけ深く傷つけるか、某知事が証明してくれたとおりです。


私が洗礼を受けたのは身内の病気がきっかけです。

病気、家庭崩壊、経済的な困窮。

人が、心身ともに健やかに、幸福感をもって生きるための基盤が1つ1つ崩れていくなかで、10代20代を過ごしました。

病気になんとか対応するために、食べていくために、孤独に耐えるのに、必死でした。
でも、必死の一方、「もうくたびれたから、早くこの世の生を終わらせてほしい」と願う気持ちも強かった。


洗礼を受けたのは30代前半。

「なぜこのような運命を与えられたのか?」
「私たちがいったい何をしたというのか?」

答えのない問いですが、問わずにいられなかった、その「宛先」ができた、という気持ちでした。

絶望、怒り、悲しみ、虚しさ、孤独……そういった感情は、人にぶつけるわけにはいかない。
そんなことをしたら、状況はますます悪く、惨めになるばかりです。
ぶつける矛先が、神だった、というわけです。

私の場合、対象となる宛先は、仏様ではなく、八百万の神々でもなく、明確に、最初から、キリスト教の神でした。
身内に1人もクリスチャンはいないのに、不思議なことです。


長い長い真っ暗闇のトンネルを歩きながら、どこからか、かすかだけれど、確かに、ひとすじの光が見えてくるように思い、その方向になんとか進んでいこうと思いました。
私の場合は、それが神からの光だったのかもしれません。

いつ出口に出られるかわからないけれど、ともかくも歩き続けることができたのは、信仰があり、音楽が友となってくれたからだと思います。


いま、苦しみのさなかにある1人1人の心の中に、なんらかの希望の灯がともっていてくれることを願います。

出口のないトンネルは決してない。そう信じています。


*****

こんなブログを、所属教会の牧師さんから(ツイッターで!)教えてもらいました。

被災地から離れている人が感じるストレスへの対処法。
http://fujikake.jugem.jp/?eid=2795

日本キリスト教団東北教区の人たちの支援活動。
http://ameblo.jp/jishin-support-uccj/

「本をつくる」ことを仕事にしているので、被災地方の本屋さんの窮状はとても気になります。
以下は、出版の業界紙のウェブサイト。
http://www.shinbunka.co.jp/

募金について。
皆さんいろいろな形で募金はされていると思いますが、これは私がとりあえず応募したもの。
仕事のうえで以前から、医療・福祉の分野で継続的な活動をおこなっていることを知っていたので。
クレジット決済なので数分で手続きができ、何にどのくらい資金を使ったのか、活動報告もきちんとするとのことです。領収書の発行も可能。2011年4月1日以降は、公益財団法人へ移行するため、税制上の優遇措置もあるとのことです。
http://canpan.info/open/news/0000006465/news_detail.html




静まりから生まれるもの ー信仰生活についての三つの霊想ー

静まりから生まれるもの ー信仰生活についての三つの霊想ー

  • 作者: ヘンリ・ナウエン
  • 出版社/メーカー: あめんどう
  • 発売日: 2004/09/01
  • メディア: ペーパーバック



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11-5 『ヴェルサイユ宮殿に暮らす』 [本]

珍しく、どんより曇った日が続きます。

今週末は、原稿書きのために蟄居生活。
3本、頑張って仕上げたぞ! バンザイ!!
この2、3日、仕事が進まないのでウツ状態だったけど、ようやく……

さっぱりした気分でブログです。

*****

いま、読んでいるのはこんな本。

歴史家ウィリアム・リッチー・ニュートンという人が書いた
『ヴェルサイユ宮殿に暮らす 優雅で悲惨な宮廷生活』(北浦春香さん訳、白水社)

いやはやオソロシイ実態が、次から次へと「これでもか」と描かれていて、呆れるやら驚嘆するやら。

2010年6月(奥付は7月になっている)に初版が出て、私が入手したのは、9月の第3刷。
やはり興味をもつ人がたくさんいたらしい。

いま第3章の「水」の項を読んでいますが、水といえば、トイレ、お風呂。
あの時代の宮廷の人たちは一体どうしていたのやら。
考えてみれば当たり前だけど、なるほどそんなことになっていたのか~ と目からウロコの事実が続々。

なんでこんな本を読んでいるかというと……
この宮殿のなかに音楽家たちも住んでいたわけで、彼らの音楽活動の背景にあるものを知ることができる、と思ったからです。

今のところ、(残念ながら)直接、音楽家に言及している箇所は出てきていませんが。
当時の音楽家たちは、従僕、女官、近衛兵、厩舎担当、そういう人たちと同じクラスの「宮廷勤務」の人だったわけですから、だいたいの暮らしぶりは察することができます。


ヴェルサイユ宮には行ったことがあり、壮麗なあの庭園の噴水が、実は給水が貧弱で質が悪く、美しいけどニオイはひどかった、という話は聴いていました。

この本を読むと、非常な苦労をして遠くからはるばる宮殿と市街に水を引いていたらしい。
生活用水も事欠くなかで、噴水造営にかけたルイ14世の執念たるや、いやはやものすごい。
王様のその執念に応えるべく、驚くほどの金と人を実際に動かすことができたというのも、ものすごい。

絶対王政が頂点を極めた時代。
現在の我々がイメージするような「権力者‐庶民」の関係とは、ずいぶん違う社会と文化があったらしい。
トイレだの料理だの、そんな日常の事実を見ることで、しみじみそれが理解できます。


もとは学術書なので、一般の人にも読める造本にはしてあるもの、決してすいすい読める本ではなく、読み続けるのにちょっとした忍耐心が必要です。
(ただし現金なもので、トイレや風呂とか、王様と愛人との生活はどうであったか、みたいな下世話な話になると、がぜん、読むスピードが早くなる;;)

校正が甘かったり、訳文が日本語としては今ひとつ、といったところもあったりはするのですが……

でもこういう本は、本当に、翻訳をするのは大変。
異国の、それも遙か昔の官職名を、現代日本の読者にもイメージしやすい訳語に置き換えるだけでも、非常な苦労をしたはず。
それを思えば、少々の欠点をあげつらう気にはなれません。
よくぞ訳してくださいました。


書く方も訳す方も、報われることの少ない、割に合わない仕事と思う。
こういう本をネタ本にして、もっと面白く読みやすく、「売れる」本を書く人はいっぱいいるけれど……

溜息をつきつつ、営々としてこういう仕事を続けている人たちこそ、ちゃんと評価される社会であってほしい。
なんて。話を大きくしすぎですね。ついつい;;


ところで、この本を読みながら聴いているのは、下記のCDです。
「偉大なる世紀」、まさに、ルイ14世の時代に活躍した作曲家たちの音楽。
彼らも、このヴェルサイユ宮を歩き、食事をし、王様と言葉を交わしながら音楽をしていたんですね。

これはずっと以前から愛聴している素敵なCDなので、いつかまた改めて紹介したいです。



ヴェルサイユ宮殿に暮らす—優雅で悲惨な宮廷生活

ヴェルサイユ宮殿に暮らす—優雅で悲惨な宮廷生活

  • 作者: ウィリアム リッチー ニュートン
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2010/06/23
  • メディア: 単行本



偉大なる世紀のフルート音楽

偉大なる世紀のフルート音楽

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 2009/12/23
  • メディア: CD



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11-4 荒木源『オケ老人!』 [本]

今日の東京は久しぶりの快晴。

こんな休日に、陽のあたるホットカーペットに寝そべって、雑誌を読んだり昼寝したり甘いものを食べたりするのは嬉しい。至福の時であります。

*****

このところハードな日々だったので、気晴らしに軽いエンターテインメントを読みました。

アマチュアオケを舞台にした、なかなか楽しいお話。
ロシアのスパイ(懐かしい)なんかが活躍したりして。
ゴルゴンスキーって、きっとアノ人がモデルに違いない。笑えます。

あこがれの梅が岡フィルに入団したはいいけれど、かえって、音楽をやめようとまで思いつめてしまうくだり。
あの息づまる練習の雰囲気はとてもよくわかって、読んでいて胸が苦しくなってしまった。
なんのための音楽か、その本末が転倒してしまうのは、おかしなことだけど起こりがちだと思う。
ゴルゴンスキーが「梅フィル」出演を自分からやめてしまう、あの台詞はなかなかいいです。


作者のメッセージはとてもストレートだけど、それが終始ふんわりあったか、ヒューマンな物語の中にさりげなく織り込まれているので(かなり周到な配慮がなされた文章だと思う)、素直に受け止められます。


もう1冊、これは少し前に読んだ本ですが、『オケ老人!』のそばで文庫化されているのを見つけました。
『さよならドビュッシー』。
こちらはミステリー。どんでん返しが最後にあって、これも楽しい小説でした。



オケ老人! (小学館文庫)

オケ老人! (小学館文庫)

  • 作者: 荒木 源
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/12/07
  • メディア: 文庫



さよならドビュッシー (宝島社文庫)

さよならドビュッシー (宝島社文庫)

  • 作者: 中山 七里
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2011/01/12
  • メディア: 文庫



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11-3 ティク・ナット・ハン『小説ブッダ』 [本]

首都圏は珍しく雪の予報。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

いやはや多事多難な日々ですが、なんとかやりすごしております。
身体は元気になってきたので、大丈夫。
コンサートになかなか行けないのが寂しいですが、CDの音楽で栄養補給しています。

*****

「ブッダ」とは、また突然どーしたんですか?? という声が聞こえてきそう。
でも、これはとってもお薦めの本で、ずっと以前から、いつか紹介したいと思っていたものです。


ベトナム生まれ、「現代最高の禅僧」として名高いティク・ナット・ハン師のブッダ伝。

学生時代から、キリスト教に限らずいろいろな宗教・信仰に興味があり、本を探しては読んでいましたが、仏教はとにかく捉えどころのない宗教だなぁという印象がありました。

「聖書」が信仰のアルファでありオメガであるキリスト教と違って、「これ1冊読みさえすれば」というのが仏教にはないようで、どれを読んでも、教えの一部ないし断片という印象。

何だろうなぁ一体……と思いつつ二十数年が経ち、やっと、「この1冊」を見つけた!という気持ちになったのが、この本です。


小さな活字で2段組、400頁を超えるハードカバーの本なのに、通勤の行き帰りにほぼ一気読みしてしまいました。読み終わってしまうのが惜しくて、途中からはことさらゆっくり読むようになったのですが、それでも読了まで5日はかからなかったと思う。
本を読むのが遅い私にしては異例のスピードでした。


ブッダの生涯を伝記的に追いつつ、彼の教えの要諦を簡潔にまとめ、それがどんな状況でどういう人々に向けて語られた教えなのか、それをどういう弟子がどのように伝えたのか、ブッダをめぐる人々や当時の社会的背景など、知りたいと思うことがすべて1冊の中にコンパクトにまとめられています。

ブッダをめぐってはいろいろな伝説・伝承が残されていますが、そういった出来事、人間関係もていねいに描かれているので、「なるほど、こういうことか」と納得することも多々あり。


ブッダの教えを信仰として受け止めたい人にも、知識として仏教とは何かを知っておきたい人にも。
きっと、どちらにも読み応えのある本なのでは。

初版からまだ3年も経っていないはずですが、はや6刷。
きっと、私のように感動して読んだ人がたくさんいるに違いない。

副題にある「いにしえの道、白い雲」がまた、何故か胸に沁みるではないですか。


著者ティク・ナット・ハンさんは、十数年ぶりに来日するらしいです。
講演会、あるいは可能ならばリトリートに行ってみたいなぁと思っていますが、無理かなぁ……
http://thay.jp/

*残念ながら、ティク・ナット・ハン師は来日ができなくなったそうです。講演会は満員になっていたそうですが。この地震の影響もあるようです。〔2011.4.1記〕

手塚治虫さんのブッダ伝も、映画が近々公開されるようですし。
興味のある方は、ぜひ手にとってみてください。



小説ブッダ―いにしえの道、白い雲

小説ブッダ―いにしえの道、白い雲

  • 作者: ティクナットハン
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2008/12
  • メディア: 単行本



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10-40 『ふらんす』 [本]

今朝、起きていちばんに嬉しかったこと。

金木犀の香りがする! ♪

お隣の家の古い大きな木に、いつの間にかあの可愛い小さなオレンジの花が。

咲き始めがいちばん香るんですよね。
そして、たいていは秋の雨にやられて、あっという間に路面に散ってしまう。

秋ですねぇ……

さて、40コめの記事です ^^ 祝 ♪♪♪♪
そして「総閲覧数」というのが、多分あと2日くらいで20,000。
多いのか少ないのか? よくわからないけど……
切りのよい数字は、なんとなく「達成目標」っぽくなってくるから不思議である。
目標ったって、ね。 別に何を頑張るわけでもないけれど。

*****

最近はまっている雑誌をご紹介します。

白水社から刊行されている『ふらんす』は、もともとは語学の雑誌として出されている雑誌と思いますが、読み物としてもとても面白いです。

私はフランス語は初級で挫折してしまったので、なんとなく苦手意識があったのですが……
読んでみたら「語学」のページもなんとはなしに読める。
何より連載の執筆陣がとても充実しているので、毎号、2~3日は通勤電車の行き帰りに持ち歩いて、隅から隅まで読んでいます。

大きな書店の語学の棚に、毎月20日頃に出てくる雑誌です。


10月号の表紙は、ルーヴル美術館と、その前にはためく「モノクロ」の万国旗。

毎年10月に開かれるFIAC(国際現代美術見本市)の展示品として数年前に物議を醸した、「権威否定」「挑発」を象徴する芸術作品なのだそうです。

なるほど、モノクロの国旗ね。
「アンチ権威」の理屈はともかくとして、この写真は確かに美しい……
その毅然とした風景に、思わず見入ってしまいました。

「美しさ」が、現在の常識や世界観をふと見直させる力をもつとしたら、それはやはり「芸術」の名にふさわしい。


連載で気に入っているものを3つだけ挙げるとすると……

竹下節子さんの「ジャンヌ・ダルク異聞」
岩田誠さんの「医者たちのパリ」
 最後にやはり、
鹿島茂さんの「パリ風俗事典」

他の連載陣もそれぞれ読み応えがあって楽しい(3つだけ選ぶのがちょっと苦しかった)。

冒頭に1頁ずつ、「今月のフランス」をレポートするコラムが置かれていて(政治・社会・美術・映画・スポーツ・スペクタル=ここに音楽や舞踊が入る)、リアルタイムのヨーロッパの空気を伝えてくれます。

こういう雑誌が、ドイツやイギリス、イタリア篇もあったらいいのにな。


今月の特集は「ゴッホ」。

ゴッホが最後の時を過ごしたオーベール=シュル=オワーズの話題が割合に多く――むかし行ったことがあったので、とても懐かしく嬉しく――ゴッホの絵をまた見てみたい!と思ってしまいました。

新国立美術館の秋のゴッホ展、往年のファンがたくさん集まりそうですね。


ふらんす 2010年 10月号 [雑誌]

ふらんす 2010年 10月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2010/09/21
  • メディア: 雑誌



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10-38 奥泉光『シューマンの指』 [本]

まだまだ暑い9月。
でも、朝夕だいぶ過ごしやすくなりましたね。

夏の終わりの風物詩、「カナカナカナ……」 今年はまだ聴いていません。

うちの周りではカナカナさんは例年、あんまり鳴かないよ、と家人。
そうだったかなぁ。

やっぱり、あれを聴かないと夏が終わらない。
早く聴きたいなぁ……

**********

奥泉光さんの小説『シューマンの指』を読みました。


装幀(帆足英里子さん)が印象的です。

音楽関連書でピアノの鍵盤を使うのは常套手段ですが、これは潔い。
ありそうでなかった使い方。
鍵盤の上の赤、もろに「血」みたいで、ちょっとぞくっとします(この部分、手で触りたくない)。


読むうちに、終盤、ピアニストの指がナイフで……のくだり。

自分もピアノを弾くからか、あまりにも生々しくぞっとして、電車の中で(いつも電車の中)そのくだりにさしかかったときには、一瞬、吐き気まで感じてしまいました。

しばらく本を閉じて、頭のなかの想像を追い払ってから、先に進む。
ああ怖い。こうして書くだけでもその感覚を思い出してしまって、ダメです。


でも、これはごく一部についての私的な印象。
それを除けばとても面白かったし、いろいろ考えさせられる小説でした。


主人公が、春の夜、卒業式を終えた日に、学校の音楽室から響いてくるシューマンの幻想曲にふと耳を奪われる。

そのあたりの描写が素晴らしく美しく、さすが小説家の筆力と感心しました。

頬をなでる柔らかい春の風や、木々のそよぐざわめきまで感じられるようです。
その中でかすかに響いてくるピアノの音……夢なのかうつつなのか……
作家が思い描いた風景(自然の風景と、心の内なる風景)が、ありありと伝わってきます。


私は学生時代はシューマンは苦手で……

あの、いきなり本題に入ってくる感じ。
それも独特のノリで。
相手の困惑などおかまいなし、自分のペースにひきずりこまずにおかない。
(そういう人っていますよね!)

こちらが少しでも「嫌だな」というそぶりを見せたら、自分を理解する能力のない奴とみなされて、「こいつはフェリシテ人だな!」と簡単に切って捨てられそう。

わがまま男、シューマン。


でも、最近は、青春の音楽として振り返る余裕ができたようで(ようするに年をとって、青春時代を過ぎてしまったからか)、たまに弾いてみたりしています。


シューマンを愛する文学者・奥泉さんは、さすが、「いきなり本題」のような即物的な物言いはせず、もっと格調高く詩的な表現をします。


音楽は、もうすでにこの世界に鳴り響いている。楽譜を音にする前に、すでに……
実際の演奏は、いわばその「露頭」のようなものなのだ。


このイメージはとても美しく、腑に落ちるものでした。なるほど……


この本のように、音楽の演奏を、長々と、専門用語を遠慮なく駆使して描写する小説として、忘れがたいのが平野啓一郎さんの『葬送』です。

『葬送』は初版単行本で上下2巻。
感心したのは、その片方でショパンの自作自演のシーンがあり、もう片方で、ドラクロワが(確か本人だったと思う)自作の絵画を眺めるシーンがあること。
どちらも、かなりのページ数を割いて、えんえんと細部にわたって克明に描いています。

音楽を自分で演奏して(or聴いて)味わう体験を描写する。
絵画を眺めるという体験を描写する。
その2つに同時に挑戦した野心作。
そう思って、感心もし、平野さんすごい、と尊敬しました。

平野さんのほうはミステリーではありません。
ヨーロッパの教養小説というのか哲学小説というのか、そんな香気を感じさせる文学作品です。


シューマンの指 (100周年書き下ろし)

シューマンの指 (100周年書き下ろし)

  • 作者: 奥泉 光
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/23
  • メディア: 単行本



葬送〈第1部(上)〉 (新潮文庫)

葬送〈第1部(上)〉 (新潮文庫)

  • 作者: 平野 啓一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07/29
  • メディア: 文庫



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