10-41 作曲家の個展 [コンサート]
だいぶ寒くなってきましたね。
雨の休日、窓から外の風景を眺めながら、ぼんやり過ごす。
根が無精なたちなので、こういう時間も大好きです。
*****
2010年10月5日、サントリーホールで、「作曲家の個展」第30回記念特別演奏会を聴きました。
望月京さん、北爪道夫さん、近藤譲さん、松平頼則さんのオーケストラ作品4つ。
演奏は東京都交響楽団、指揮は梅田俊明さん。
http://www.suntory.co.jp/news/2010/10809.html
現代音楽のコンサートで、これは面白い!と思える作品にはなかなか出会えない。
一緒に出かけた友人がそんなふうに言っていましたが、そのとおり……
素人だから作品の優劣など判断できないけれど、とにかく聴いて面白いか、自分が好きかどうか、それだけ。
ひと晩のコンサートで、1つくらい心に響いてくる作品に出会えれば嬉しいという感じ。
この日は、北爪道夫さんの『管弦楽のための協奏曲』がとても面白くて、もう一度聴きたい、と思いました。
(下に挙げたCDに収録されています。たぶん2003年の初演時の録音)
松平頼則さんの『ピアノ協奏曲』は遺作・初演でした。
この作品について、プログラムに野平一郎さん(ピアノ演奏と、この曲の楽譜校訂を担当)が書かれた作品解説がとても感動的です。
松平さんからある日この曲のスコアが送られてきて(誰かに委嘱されて作ったわけではなく、演奏機会のアテがあったわけではない)、思いがけない贈り物に、御礼の連絡をしなければ、と思っていた矢先に松平さんの訃報が届いた。
その後、なんとか演奏の機会を作ろうと思いながら果たせず、10年弱もの歳月が流れてしまったが、この機会に、野平さん自身がパート譜を起こし、書き間違いや見にくい箇所は補って、上演にこぎつけたとのこと。
思いもかけず、作曲家から最後の作品を託されることになった野平さんの心情を思うと、10年は長かっただろうなぁと思う。
それに、作曲家がすでに亡くなったあと、残された手書き総譜から作曲者の意図を推し量りつつ、実際に演奏に使えるパート譜を起こしていく作業は、(楽しさもあっただろうけれど、)ものすごく忍耐のいる、大変な作業だっただろう。
(校訂楽譜の編集をしたことがあるので、それがいかに時間と手間暇とイマジネーションの必要な作業かは、想像がつく。)
この日は野平さんにとっては感無量の舞台だったと思うし、ふだんの演奏にまして、尋常ならざる熱演だったのはよくわかった。
切れ切れに聞こえてくる野平さんのピアノの音色、間合い、まさに「渾身の歌」と言っていいような切々たる音楽と気合いには、はっとさせられる瞬間が多々あった。
ただ、「切れ切れに聞こえてくる」と書いたけれど、本当にそんな感じで、ハープ2台にマリンバ3台を含む大編成のオケがピアノにかぶってしまって、肝心のピアノの音が聞こえないのだ。それでずいぶん、もどかしい思いをした。
とにかくも、これが初演。
もしも松平さんがこの演奏を聴いていたら、もしかしたら改訂の筆を加えたかもしれないし、新たなヴァージョンの再演が聞けたかもしれない。
そんなふうに思いました。
雨の休日、窓から外の風景を眺めながら、ぼんやり過ごす。
根が無精なたちなので、こういう時間も大好きです。
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2010年10月5日、サントリーホールで、「作曲家の個展」第30回記念特別演奏会を聴きました。
望月京さん、北爪道夫さん、近藤譲さん、松平頼則さんのオーケストラ作品4つ。
演奏は東京都交響楽団、指揮は梅田俊明さん。
http://www.suntory.co.jp/news/2010/10809.html
現代音楽のコンサートで、これは面白い!と思える作品にはなかなか出会えない。
一緒に出かけた友人がそんなふうに言っていましたが、そのとおり……
素人だから作品の優劣など判断できないけれど、とにかく聴いて面白いか、自分が好きかどうか、それだけ。
ひと晩のコンサートで、1つくらい心に響いてくる作品に出会えれば嬉しいという感じ。
この日は、北爪道夫さんの『管弦楽のための協奏曲』がとても面白くて、もう一度聴きたい、と思いました。
(下に挙げたCDに収録されています。たぶん2003年の初演時の録音)
松平頼則さんの『ピアノ協奏曲』は遺作・初演でした。
この作品について、プログラムに野平一郎さん(ピアノ演奏と、この曲の楽譜校訂を担当)が書かれた作品解説がとても感動的です。
松平さんからある日この曲のスコアが送られてきて(誰かに委嘱されて作ったわけではなく、演奏機会のアテがあったわけではない)、思いがけない贈り物に、御礼の連絡をしなければ、と思っていた矢先に松平さんの訃報が届いた。
その後、なんとか演奏の機会を作ろうと思いながら果たせず、10年弱もの歳月が流れてしまったが、この機会に、野平さん自身がパート譜を起こし、書き間違いや見にくい箇所は補って、上演にこぎつけたとのこと。
思いもかけず、作曲家から最後の作品を託されることになった野平さんの心情を思うと、10年は長かっただろうなぁと思う。
それに、作曲家がすでに亡くなったあと、残された手書き総譜から作曲者の意図を推し量りつつ、実際に演奏に使えるパート譜を起こしていく作業は、(楽しさもあっただろうけれど、)ものすごく忍耐のいる、大変な作業だっただろう。
(校訂楽譜の編集をしたことがあるので、それがいかに時間と手間暇とイマジネーションの必要な作業かは、想像がつく。)
この日は野平さんにとっては感無量の舞台だったと思うし、ふだんの演奏にまして、尋常ならざる熱演だったのはよくわかった。
切れ切れに聞こえてくる野平さんのピアノの音色、間合い、まさに「渾身の歌」と言っていいような切々たる音楽と気合いには、はっとさせられる瞬間が多々あった。
ただ、「切れ切れに聞こえてくる」と書いたけれど、本当にそんな感じで、ハープ2台にマリンバ3台を含む大編成のオケがピアノにかぶってしまって、肝心のピアノの音が聞こえないのだ。それでずいぶん、もどかしい思いをした。
とにかくも、これが初演。
もしも松平さんがこの演奏を聴いていたら、もしかしたら改訂の筆を加えたかもしれないし、新たなヴァージョンの再演が聞けたかもしれない。
そんなふうに思いました。
2010-10-09 16:15
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