SSブログ

11-16 隔靴掻痒 [パウゼ]

お天気は悪いけれど、ゆったりした週末を過ごしています。
来週に迫った本番のために、指ほぐしの特訓をして、伴奏のアレンジを作って……と、いつものことだけど付け焼き刃で準備中。

右手人差し指、マウス操作の反復運動で、やっぱりちょっと腱鞘炎?気味みたいです。
パソコンの操作環境をちゃんと見直さないといけません。。。


『ふしぎなキリスト教』を読み進めています。
疲れ気味なので、電車で座るとそのまま夢の中……のことが多いので、なかなかさくさくとは進まないんだけど。

隔靴掻痒の感じがどこからくるか、なんとなくわかってきました。
きっと、言い古されたたとえなんだろうなとは思いますが……

音楽する
恋愛する
信仰する

どれも、言葉で思索し語り合うことはでき、それ自体が文化にもなっていて、それはそれで面白いものではあるけれど。
やっぱり一番面白いのは、自分で実地でやってるときだ。と改めて思いました。

プールサイドに座りこんだまま「”泳ぐ”とは何か」、あれこれ考えていてもしかたないし。水にどぼんとつかってみれば、泳ぐことの真髄も面白さも苦しさも体感できる。


よく思うのですが、音楽家(演奏家)はキリスト教の理解が不可欠と思うのですが、聖書や参考書を読んで、ポイントを理解したつもりになっても、意味がないとは言わないけれど、もう一歩のところで届いていないと思うのです。

カトリックでもプロテスタントでもいい、1年間だけでも礼拝に毎週通ってみて、信仰者の生活を体感してみるといいのにな。と思います。

クリスマスがいかに嬉しく心はずむものか、復活祭のめぐってくる春がいかに神秘の力に満ちた季節か、たぶん、信仰生活の四季を経験して初めて、なんとなくわかってくるものがあるのでは、と思う。

少なくとも私は、クリスチャンになって初めて、クラシック音楽の底流に流れているものを少し、理解できたというのは不遜だけど、うかがい知ることができたように思って、それはすごい発見でした。


1週間に1度必ず礼拝に通うって、実はものすごく努力がいることなのですが、でも考えてみれば、礼拝の時間は、1週間にたった1時間なんです。
累計すれば年間で53時間。ただこの53時間は、決して小さい時間ではありません。


と、言いつつ……

明日の礼拝は、仕事の打ち合わせが入っていて行けません。
1週1度の魂の洗濯ができないのはつらい。。。

来週を楽しみに。







タグ:キリスト教
nice!(0) 

nice! 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。