10-11 『フランス音楽史』 [本]
今谷和徳・井上さつき(共著)『フランス音楽史』は、500頁を超える「書き下ろし」の大著だ。
フランス音楽の歴史を中世(9世紀)から21世紀の今日まで、全12章で俯瞰している。
前半が今谷和徳さんの執筆、フランス革命以後の近現代を担当するのが井上さつきさん。
この分野ではこれまで、フランスの音楽史家デュフルクによる翻訳書が1冊あるきり。
遠山一行さん、平島正郎さん、戸口幸策さんという、錚々たる人たちが翻訳者として名を連ねていて、とても高価だったけれど、この分野に興味のある人なら皆、事典代わりの必携書として購入したのだ。
1972年初版のその訳書以来、ほとんど40年たってようやく、日本人の手になる通史が登場したというわけ。
しかも今どき、書き下ろしで、というのもすごい。
「通史を書く」というのは、著者としてそれ相応の自負心、自信がないとできない仕事だと思う。
なにしろ数百年に及ぶ歴史を1冊にまとめてしまおうというのだ。
何を選び何を捨てるか、批判や注文は覚悟のうえの、ちからわざである。
鍛えられた「史観」を持っていないと、なかなか手を出せない。
そんなしんどい仕事でも、敢えてやろうというのは……
書き手としてのチャレンジであると同時に、
次の世代への責任感、使命感のようなものがあるからではないか。
自分たちの世代は、翻訳書が1冊しかなくて、何かにつけ苦労してきた。
しかもその訳書、貴重ではあるけれど、古さは否めない。
やはり1冊、このあたりで出しておくべきではないか。
批判なり注文があれば、この本を乗り越えて、次の世代がまた新しい歴史を描けばいい。
学問というのは、そのようにして発展していくものだから。
著者たちのそんな心意気が伝わってくるような本。
軽く、安価で、易しく読みやすく、通勤電車の行き帰りでワン・テーマを読み終えられる本。
そんな本が本屋さんには山積みだ。
アイディアも創意工夫もそれなりにあって、楽しませてくれる本も多いけれど……
そのなかにどれだけ、「尊敬できる本」があるだろう?
今谷・井上版『フランス音楽史』は、まず、「フランスとは何か」から始まる。
これが面白い。
国境線も、政体も、言葉さえも、歴史とともに変わってきた。
そしてこの国の芸術家は往々にして、イタリアやドイツなどの「外国人」なのだ。
にもかかわらず、「フランス音楽」というくくりは成立するのだろうか?
読み通して思ったのは、数百年の時を経ても、そこにはまぎれもなく、「フランス的」な思考や感性としか言いようのないものが刻印されているということだ。
歴史って、文化って、不思議だなぁ、と思った。
デュフルクの翻訳書は、昨年、新装版として復刊されています。
本屋さんの店頭で、この2つの本を見比べてみるのも面白いかも。
フランス音楽の歴史を中世(9世紀)から21世紀の今日まで、全12章で俯瞰している。
前半が今谷和徳さんの執筆、フランス革命以後の近現代を担当するのが井上さつきさん。
この分野ではこれまで、フランスの音楽史家デュフルクによる翻訳書が1冊あるきり。
遠山一行さん、平島正郎さん、戸口幸策さんという、錚々たる人たちが翻訳者として名を連ねていて、とても高価だったけれど、この分野に興味のある人なら皆、事典代わりの必携書として購入したのだ。
1972年初版のその訳書以来、ほとんど40年たってようやく、日本人の手になる通史が登場したというわけ。
しかも今どき、書き下ろしで、というのもすごい。
「通史を書く」というのは、著者としてそれ相応の自負心、自信がないとできない仕事だと思う。
なにしろ数百年に及ぶ歴史を1冊にまとめてしまおうというのだ。
何を選び何を捨てるか、批判や注文は覚悟のうえの、ちからわざである。
鍛えられた「史観」を持っていないと、なかなか手を出せない。
そんなしんどい仕事でも、敢えてやろうというのは……
書き手としてのチャレンジであると同時に、
次の世代への責任感、使命感のようなものがあるからではないか。
自分たちの世代は、翻訳書が1冊しかなくて、何かにつけ苦労してきた。
しかもその訳書、貴重ではあるけれど、古さは否めない。
やはり1冊、このあたりで出しておくべきではないか。
批判なり注文があれば、この本を乗り越えて、次の世代がまた新しい歴史を描けばいい。
学問というのは、そのようにして発展していくものだから。
著者たちのそんな心意気が伝わってくるような本。
軽く、安価で、易しく読みやすく、通勤電車の行き帰りでワン・テーマを読み終えられる本。
そんな本が本屋さんには山積みだ。
アイディアも創意工夫もそれなりにあって、楽しませてくれる本も多いけれど……
そのなかにどれだけ、「尊敬できる本」があるだろう?
今谷・井上版『フランス音楽史』は、まず、「フランスとは何か」から始まる。
これが面白い。
国境線も、政体も、言葉さえも、歴史とともに変わってきた。
そしてこの国の芸術家は往々にして、イタリアやドイツなどの「外国人」なのだ。
にもかかわらず、「フランス音楽」というくくりは成立するのだろうか?
読み通して思ったのは、数百年の時を経ても、そこにはまぎれもなく、「フランス的」な思考や感性としか言いようのないものが刻印されているということだ。
歴史って、文化って、不思議だなぁ、と思った。
デュフルクの翻訳書は、昨年、新装版として復刊されています。
本屋さんの店頭で、この2つの本を見比べてみるのも面白いかも。
2010-03-30 10:12
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