10-12 高橋悠治「優しき歌」 [コンサート]
月末月初は毎月とても忙しくて、毎日が胃の痛む綱渡り。
今週はそれに加えて、新年度の組織変更で席替えなぞがあり、2日間ホコリにまみれて仕事は中断。
疲労困憊の1週間……
そんな日々ですが、2つのコンサート、どうにかこうにか行ってきました。
今日はそのうちの1つを紹介します。
* * *
2010年4月2日(金)
トッパンホールで、高橋悠治さんの「優しき歌」コンサートを聴く。
(主催:コンサートイマジン)
仕事がどうしても終わらず、かなり強引にパソコンをオフにして社を出たのが18時55分。
やっぱり聞き逃したくないと、会社近くからトッパンホールまでタクシーを奮発した。
このあたりは自分の庭みたいなもんです、と言う運転手さんの、まあ速かったこと。
2曲目が始まるところですべりこむ。
いつもだったら、こんなふうにコンサートにすべりこむと、たいてい前半は頭から仕事のザワザワが離れず、カラダも硬くなったままなのだけれど……
悠治さんのあの話術で、心身の緊張が一気にほどけてしまった。
音楽も語りも、するり、と心に入り込んでくる。
でも決してべたべたしないのだ。
(高橋悠治さんは、どうしてだか「高橋さん」ではなくて「悠治さん」と呼びたくなります。お知り合いとかオトモダチというわけではありません。敬意と親しみを込めて……)
曲目とその配列がまず面白い。
17世紀と20世紀の作曲家が、洋の東西も問わず、往還する。
こんなことを思いつくのは(そして実行してしまえるのは)悠治さんだけだろう。
フローベルガー(1616-67): 皇帝フェルディナント3世陛下の痛切の極みなる死に捧げる哀歌
柴田南雄(1916-96):ピアノのための変奏曲 Op.1
シュニトケ(1934-98):ピアノ・ソナタ第3番 Op.229
スウェーリンク(1562-1621):わが青春の日は既に過ぎたり
(ここで休憩)
フローベルガー:ブランクロシェ氏の死に捧げるパリで書かれたトンボー
柴田南雄:ピアノのためのインプロヴィゼーション第二
柴田南雄:優しき歌 Op.13
ここだけ歌曲で、歌は、波多野睦美さん。
チラシを見ると「喪失感」が隠れテーマのようです。
それぞれに起伏に富んで飽きさせず、面白い。
合間の語りも、休憩のブレイクタイムも含めて、すべてが一定の拍動をもった音楽のよう。
曲目の選択と、構成の妙。
そして悠治さんがいかにも面白そうに、指先とカラダの感覚を楽しみながら弾いていること。
演奏者(企画者)の知的な遊びと身体的な快感が、聴く者の楽しみにもなる、そんなコンサート。
ほかではちょっと聴けません。
「優しき歌」では、波多野さんの抑えた歌唱の後ろで、悠治さんのピアノが自由自在に暴れている。
不思議な対照である。
シュニトケのソナタと、フローベルガーの「トンボー」、柴田さんのインプロヴィゼーション。
「優しき歌」の第3・4曲。
このあたりが記憶に残っています。
http://www.toppanhall.com/concert/detail/201004021900.html
「優しき歌」は、柴田南雄さんが戦中の記憶から自分を解放するための儀式にもなったのだろうか?
下記の柴田さんの自伝は非常に面白いのでお薦め。
戦争の時代を柴田さんがどう見ていたのか、そのあたりがとても印象深い本。
『西洋音楽史』と合わせて、尊敬する2冊としてずっと大切にしています。
今週はそれに加えて、新年度の組織変更で席替えなぞがあり、2日間ホコリにまみれて仕事は中断。
疲労困憊の1週間……
そんな日々ですが、2つのコンサート、どうにかこうにか行ってきました。
今日はそのうちの1つを紹介します。
* * *
2010年4月2日(金)
トッパンホールで、高橋悠治さんの「優しき歌」コンサートを聴く。
(主催:コンサートイマジン)
仕事がどうしても終わらず、かなり強引にパソコンをオフにして社を出たのが18時55分。
やっぱり聞き逃したくないと、会社近くからトッパンホールまでタクシーを奮発した。
このあたりは自分の庭みたいなもんです、と言う運転手さんの、まあ速かったこと。
2曲目が始まるところですべりこむ。
いつもだったら、こんなふうにコンサートにすべりこむと、たいてい前半は頭から仕事のザワザワが離れず、カラダも硬くなったままなのだけれど……
悠治さんのあの話術で、心身の緊張が一気にほどけてしまった。
音楽も語りも、するり、と心に入り込んでくる。
でも決してべたべたしないのだ。
(高橋悠治さんは、どうしてだか「高橋さん」ではなくて「悠治さん」と呼びたくなります。お知り合いとかオトモダチというわけではありません。敬意と親しみを込めて……)
曲目とその配列がまず面白い。
17世紀と20世紀の作曲家が、洋の東西も問わず、往還する。
こんなことを思いつくのは(そして実行してしまえるのは)悠治さんだけだろう。
フローベルガー(1616-67): 皇帝フェルディナント3世陛下の痛切の極みなる死に捧げる哀歌
柴田南雄(1916-96):ピアノのための変奏曲 Op.1
シュニトケ(1934-98):ピアノ・ソナタ第3番 Op.229
スウェーリンク(1562-1621):わが青春の日は既に過ぎたり
(ここで休憩)
フローベルガー:ブランクロシェ氏の死に捧げるパリで書かれたトンボー
柴田南雄:ピアノのためのインプロヴィゼーション第二
柴田南雄:優しき歌 Op.13
ここだけ歌曲で、歌は、波多野睦美さん。
チラシを見ると「喪失感」が隠れテーマのようです。
それぞれに起伏に富んで飽きさせず、面白い。
合間の語りも、休憩のブレイクタイムも含めて、すべてが一定の拍動をもった音楽のよう。
曲目の選択と、構成の妙。
そして悠治さんがいかにも面白そうに、指先とカラダの感覚を楽しみながら弾いていること。
演奏者(企画者)の知的な遊びと身体的な快感が、聴く者の楽しみにもなる、そんなコンサート。
ほかではちょっと聴けません。
「優しき歌」では、波多野さんの抑えた歌唱の後ろで、悠治さんのピアノが自由自在に暴れている。
不思議な対照である。
シュニトケのソナタと、フローベルガーの「トンボー」、柴田さんのインプロヴィゼーション。
「優しき歌」の第3・4曲。
このあたりが記憶に残っています。
http://www.toppanhall.com/concert/detail/201004021900.html
「優しき歌」は、柴田南雄さんが戦中の記憶から自分を解放するための儀式にもなったのだろうか?
下記の柴田さんの自伝は非常に面白いのでお薦め。
戦争の時代を柴田さんがどう見ていたのか、そのあたりがとても印象深い本。
『西洋音楽史』と合わせて、尊敬する2冊としてずっと大切にしています。
2010-04-03 23:46
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