10-13 カザルスホール331 [コンサート]
桜満開の季節になったので、デザインを変えてみました。
文字が少しは読みやすくなったでしょうか。
1週間遅れの報告なんて、ブログにあるまじきボケボケですが、これはやはり、書いておかねば……
**********
2010年3月31日、カザルスホールの最後のコンサート、「カザルスホール331」を聴く。
(主催:カザルスホール331実行委員会)
18:30、第1部として、カザルスホールのレジデンス・オルガニストである水野均さんの演奏で幕開け。
バッハ:いと高きところでは神にのみ栄光あれ BWV662 ほか3曲に、拍手に応えてアンコール1曲。
第2部は、カザルスにちなんで、チェロ(横坂源さん)とピアノ(伊藤恵さん)。
バッハ、シューマン、ベートーヴェンなど、これだけで優に一晩のプログラムに匹敵する盛り沢山の構成。
後半冒頭のバッハ無伴奏チェロ(第4番変ホ長調)と、前半の現代もの、ストロッパ「そう、そこが問題だ」が印象に残った。
横坂さんは1986年生まれ(!)
カザルスホールとほぼ同じ年に生まれた、若い若い音楽家だ。
カザルスでよく演奏してきたヴェテランたちではなく、これからキャリアを踏み出す音楽家を起用したことに、このコンサートの企画者のセンス、意地と誇りを感じる。
「思い出にひたって皆で寂しがるコンサートにはしない。
これからという若者の音楽に耳を傾けながら、未来へと目を向けたい。」
無伴奏を大きな骨格をもって弾ききった横坂さん。
東京で一時代を画した名ホールの幕引きの日に演奏することを、どんなふうに思いに刻んだのだろう。
彼のこれからの歩みに、ホールの残響がなんらかの軌跡を残すことを、半ば祈りつつ、聴いた。
コンサート後は、このホールでかつて忘れがたい思い出を刻んだ友人2人ともに、「祝杯」をあげに街に出た。
音の響かなくなったホールは、人の住まなくなった家と同じ。
一流の音楽家がキャリアを賭して舞台に上がることがなくなり、おさらい発表会で余命をつなぐようになったホールは、ただのハコと同じ。
建物は変わらずそこにあったとしても、生きた音が消えたその瞬間に生命を終えて、ゆるやかに朽ちていく。
それを想うと胸は痛むばかりだけれど……
でも、音楽に関わるできごとを、怒りや、涙や、恨み節で終えてはいけないような気がする。
だから、カザルスホールに乾杯。
素晴らしい音楽を聴かせてくれた音楽家たちに乾杯。
バックステージで交わされた、スタッフたちの笑顔や、涙や、溜め息に乾杯。
故・萩元晴彦さんの、あの坊主頭と眼光鋭いギョロ目に乾杯。
学生時代に見た朝日新聞の記事――カザルスホールのプロデューサーに萩元さんが就任したと報じる記事は、今でもなぜか鮮明に思い出せる。
そのカザルスが、こんな形で終幕とは。
草葉のかげで萩元さんが泣いている……いや、皮肉たっぷりに慨嘆している、かな。
このホールとオルガンを、ずっと愛情を込めて世話しつづけて、最後にこんな素敵なコンサートを聴かせてくださった実行委員会のNさん、ありがとうございました。
そして、本当に、お疲れさまでした!
文字が少しは読みやすくなったでしょうか。
1週間遅れの報告なんて、ブログにあるまじきボケボケですが、これはやはり、書いておかねば……
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2010年3月31日、カザルスホールの最後のコンサート、「カザルスホール331」を聴く。
(主催:カザルスホール331実行委員会)
18:30、第1部として、カザルスホールのレジデンス・オルガニストである水野均さんの演奏で幕開け。
バッハ:いと高きところでは神にのみ栄光あれ BWV662 ほか3曲に、拍手に応えてアンコール1曲。
第2部は、カザルスにちなんで、チェロ(横坂源さん)とピアノ(伊藤恵さん)。
バッハ、シューマン、ベートーヴェンなど、これだけで優に一晩のプログラムに匹敵する盛り沢山の構成。
後半冒頭のバッハ無伴奏チェロ(第4番変ホ長調)と、前半の現代もの、ストロッパ「そう、そこが問題だ」が印象に残った。
横坂さんは1986年生まれ(!)
カザルスホールとほぼ同じ年に生まれた、若い若い音楽家だ。
カザルスでよく演奏してきたヴェテランたちではなく、これからキャリアを踏み出す音楽家を起用したことに、このコンサートの企画者のセンス、意地と誇りを感じる。
「思い出にひたって皆で寂しがるコンサートにはしない。
これからという若者の音楽に耳を傾けながら、未来へと目を向けたい。」
無伴奏を大きな骨格をもって弾ききった横坂さん。
東京で一時代を画した名ホールの幕引きの日に演奏することを、どんなふうに思いに刻んだのだろう。
彼のこれからの歩みに、ホールの残響がなんらかの軌跡を残すことを、半ば祈りつつ、聴いた。
コンサート後は、このホールでかつて忘れがたい思い出を刻んだ友人2人ともに、「祝杯」をあげに街に出た。
音の響かなくなったホールは、人の住まなくなった家と同じ。
一流の音楽家がキャリアを賭して舞台に上がることがなくなり、おさらい発表会で余命をつなぐようになったホールは、ただのハコと同じ。
建物は変わらずそこにあったとしても、生きた音が消えたその瞬間に生命を終えて、ゆるやかに朽ちていく。
それを想うと胸は痛むばかりだけれど……
でも、音楽に関わるできごとを、怒りや、涙や、恨み節で終えてはいけないような気がする。
だから、カザルスホールに乾杯。
素晴らしい音楽を聴かせてくれた音楽家たちに乾杯。
バックステージで交わされた、スタッフたちの笑顔や、涙や、溜め息に乾杯。
故・萩元晴彦さんの、あの坊主頭と眼光鋭いギョロ目に乾杯。
学生時代に見た朝日新聞の記事――カザルスホールのプロデューサーに萩元さんが就任したと報じる記事は、今でもなぜか鮮明に思い出せる。
そのカザルスが、こんな形で終幕とは。
草葉のかげで萩元さんが泣いている……いや、皮肉たっぷりに慨嘆している、かな。
このホールとオルガンを、ずっと愛情を込めて世話しつづけて、最後にこんな素敵なコンサートを聴かせてくださった実行委員会のNさん、ありがとうございました。
そして、本当に、お疲れさまでした!
2010-04-07 22:24
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