12-05 碇山典子『プーランク ピアノのための作品集』 [CD]
お久しぶりです。
2月、すごーくヘビーな本の編集作業に追われていました。
半徹夜が1週間続くと、やっぱり、後がきついです。
でもやりがいのある本だったから、なんとか頑張れたという感じ。
3月第1週、やっとの思いで校了し、次の週には白焼。
これは「しろやき」と言います。今ふと、うなぎを連想したけど、違います。
かつての「青焼」のことで、印刷にかかる前の最終の製版確認とでも言えばいいのかな。
そこでも修正がこれでもかと入り、胃が縮む思い。
そして、次の週にはもう本ができていた……
コンピュータができて、DTPが可能になって、編集者は楽になる。と言われていましたが、ウソですね。
どんどん仕事が増え、どんどんスピードが加速していく。
こんなんでいいわけないと思いつつ。
まあ、良い本ができればそれで良しとしましょう……
*****
プーランクはとても良い曲をたくさん創っていますが、なかなか愛好家の輪が広がらないのはなぜなんだろう?
室内楽、特に管楽器を含むアンサンブルにはとても面白い、人間味あふれる曲がたくさん。
もちろん、歌曲も素晴らしい。
ピアノ作品は、実は、あまり印象に残る音楽ではないなーと思っていたのですが……
このCDを聴いて、久しぶりにプーランクに再会した気分。
すごくいいCDです。
最初の3つの《ノヴェレッテ》、それから《常動曲》――ああ、懐かしい。
最後の即興曲集も粒よりの佳品がそろっています。
何日か前に、いつものように、台所仕事のお供にと思ってかけてみました。
これすごい! どうしてこんなにいいんだろう?
そう思って一気に3回繰り返して聴き、それからずっと、何かあるたびにかけています。
ポール・クロスリーなどいろいろ聴いてきましたが、碇山(いかりやま)典子さんのこの演奏、とても温かいのです。
ぬくもりがあって、そしてしみじみ優しい。
いいなぁ。
クロスリーをはじめ、プーランクというと、洒脱さ、粋、シニカルなユーモア、透明感、そういったものが強調されていたように思うけれど……
自然体の、等身大のプーランクが人なつこく話しかけてくる、そんな感じ。
プロデューサー・ノート(カメラータ・トウキョウの井阪紘さん)には、プーランクならではの音、とくにペダルの繊細な響きをとらえる苦労がいろいろ書いてあります。
演奏者と、そして、ホール(名古屋:電気文化会館)の音響の良さに助けられたと。
なるほど。
ほかではなかなか聞けないこの音色は、そういった創意工夫の賜物でもあるわけですね。
このジャケットもなかなか可愛い。
こういう写真、どこから見つけてくるのかなぁ。洒落てますね!
2月、すごーくヘビーな本の編集作業に追われていました。
半徹夜が1週間続くと、やっぱり、後がきついです。
でもやりがいのある本だったから、なんとか頑張れたという感じ。
3月第1週、やっとの思いで校了し、次の週には白焼。
これは「しろやき」と言います。今ふと、うなぎを連想したけど、違います。
かつての「青焼」のことで、印刷にかかる前の最終の製版確認とでも言えばいいのかな。
そこでも修正がこれでもかと入り、胃が縮む思い。
そして、次の週にはもう本ができていた……
コンピュータができて、DTPが可能になって、編集者は楽になる。と言われていましたが、ウソですね。
どんどん仕事が増え、どんどんスピードが加速していく。
こんなんでいいわけないと思いつつ。
まあ、良い本ができればそれで良しとしましょう……
*****
プーランクはとても良い曲をたくさん創っていますが、なかなか愛好家の輪が広がらないのはなぜなんだろう?
室内楽、特に管楽器を含むアンサンブルにはとても面白い、人間味あふれる曲がたくさん。
もちろん、歌曲も素晴らしい。
ピアノ作品は、実は、あまり印象に残る音楽ではないなーと思っていたのですが……
このCDを聴いて、久しぶりにプーランクに再会した気分。
すごくいいCDです。
最初の3つの《ノヴェレッテ》、それから《常動曲》――ああ、懐かしい。
最後の即興曲集も粒よりの佳品がそろっています。
何日か前に、いつものように、台所仕事のお供にと思ってかけてみました。
これすごい! どうしてこんなにいいんだろう?
そう思って一気に3回繰り返して聴き、それからずっと、何かあるたびにかけています。
ポール・クロスリーなどいろいろ聴いてきましたが、碇山(いかりやま)典子さんのこの演奏、とても温かいのです。
ぬくもりがあって、そしてしみじみ優しい。
いいなぁ。
クロスリーをはじめ、プーランクというと、洒脱さ、粋、シニカルなユーモア、透明感、そういったものが強調されていたように思うけれど……
自然体の、等身大のプーランクが人なつこく話しかけてくる、そんな感じ。
プロデューサー・ノート(カメラータ・トウキョウの井阪紘さん)には、プーランクならではの音、とくにペダルの繊細な響きをとらえる苦労がいろいろ書いてあります。
演奏者と、そして、ホール(名古屋:電気文化会館)の音響の良さに助けられたと。
なるほど。
ほかではなかなか聞けないこの音色は、そういった創意工夫の賜物でもあるわけですね。
このジャケットもなかなか可愛い。
こういう写真、どこから見つけてくるのかなぁ。洒落てますね!
2012-03-28 22:41
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11-29 小川典子/ペッテション=ベリエル『フレースエーの花々』 [CD]
台風15号、ただいま甲府あたり。時速45㎞くらいで日本列島縦断中。
午後はやく、台風接近にともなって帰宅指示が出たので、帰ってきました。
駅を出てタクシーに乗るまでのあいだで、すでにずぶぬれ。
すごい暴風雨で、家全体が揺れています。
怖いよ~;;
これで太陽光発電のパネルでも飛んだらどうしてくれるのだ。
あんなの飛んだらご近所に大被害をおよぼしてしまう……
先日も台風で、紀伊半島を中心に死者・行方不明100名超の被害が出たばかり。
被災地は大丈夫だろうか。
今日は銀座ヤマハホールで、オーボエの広田智之さんたちのコンサートを聴きに行くつもりでした。
チケットを買って楽しみにしていたけど、これは諦めるほかない、と帰宅。
ホールのウェブサイトを確認したところ、コンサートはさすがに中止となったそうです。
本番当日がこんな天気だなんて、演奏家の方たちには本当に気の毒。
*****
スウェーデンを代表する国民的作曲家のひとり、と言われている、
ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(Wilhelm Peterson-Berger)の
『フレースエーの花々』(第1~3集)はとても素敵な、洒落たピアノ曲集です。
ピアニストの小川典子さんがBISレーベルで全曲をCD録音していて、
たまたま聴きにいったコンサートでそのCDを購入して以来、
とても気に入って、何度も何度も聴いていました。
貴重な、素敵なCDです。
この10月に小さなコンサートでピアノを弾く機会があり、
じゃあ、これをやってみよう!と思い立って、
本郷のアカデミア・ミュージックで楽譜を3冊、買ってきました。
1曲が見開き2頁くらいで収まってしまう、小さな、易しい曲ですが、
リズムや調性の変化がとても巧みで、
一瞬でさらりと変わってしまう音楽の雰囲気を表現するのが、すごく難しいです。
とても小川さんの演奏のようにはいきません(そりゃそうだ)。
この思い切りの良さ。
くどくどした説明とか言い換えのない、簡潔そのものの筆致が、
作曲者の人柄を彷彿させます。
きっと「断捨離」の得意な人だったにちがいない。なんて。
毒舌の評論家としても有名で、
容赦なく他人の作品を一刀両断するので、恐れられていたとか。
そのせいで、
ペッテション=ベリエル自身の作品が、死後、過少評価される傾向があったらしい。
(それはもっともと言えましょう……同業の人たちに嫌われちゃうもの)
でも、弾いてみてなんとなくわかった気がするのですが、
この人、きっと自分の作品にもすごく厳しかったんだろうな、と思いました。
ここまでムダのない「ひとふで書き」みたいな曲を残せるなんてすごい、と。
ところで、学生時代に比べて、楽譜を買うことの少なくなったこのごろですが、
やはり「新しい楽譜を手に入れる」というのは、一種独特の、特別感のある体験ですね。
どんなに高額でも、図書館でコピーして済ませてしまうのはやっぱり嫌だな……と思ってしまう。(お財布は苦しくなりますが!)
憧れの曲を自分の手で、楽譜をたよりに音にしてみる、というのはやはり嬉しいことです。
上手く弾けなくて、がっかりすることが多いけど。
さてさて、こちらの本番はどんなことになるやら。
弾くほうも聴くほうも、楽しめるとよいですが。
午後はやく、台風接近にともなって帰宅指示が出たので、帰ってきました。
駅を出てタクシーに乗るまでのあいだで、すでにずぶぬれ。
すごい暴風雨で、家全体が揺れています。
怖いよ~;;
これで太陽光発電のパネルでも飛んだらどうしてくれるのだ。
あんなの飛んだらご近所に大被害をおよぼしてしまう……
先日も台風で、紀伊半島を中心に死者・行方不明100名超の被害が出たばかり。
被災地は大丈夫だろうか。
今日は銀座ヤマハホールで、オーボエの広田智之さんたちのコンサートを聴きに行くつもりでした。
チケットを買って楽しみにしていたけど、これは諦めるほかない、と帰宅。
ホールのウェブサイトを確認したところ、コンサートはさすがに中止となったそうです。
本番当日がこんな天気だなんて、演奏家の方たちには本当に気の毒。
*****
スウェーデンを代表する国民的作曲家のひとり、と言われている、
ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(Wilhelm Peterson-Berger)の
『フレースエーの花々』(第1~3集)はとても素敵な、洒落たピアノ曲集です。
ピアニストの小川典子さんがBISレーベルで全曲をCD録音していて、
たまたま聴きにいったコンサートでそのCDを購入して以来、
とても気に入って、何度も何度も聴いていました。
貴重な、素敵なCDです。
この10月に小さなコンサートでピアノを弾く機会があり、
じゃあ、これをやってみよう!と思い立って、
本郷のアカデミア・ミュージックで楽譜を3冊、買ってきました。
1曲が見開き2頁くらいで収まってしまう、小さな、易しい曲ですが、
リズムや調性の変化がとても巧みで、
一瞬でさらりと変わってしまう音楽の雰囲気を表現するのが、すごく難しいです。
とても小川さんの演奏のようにはいきません(そりゃそうだ)。
この思い切りの良さ。
くどくどした説明とか言い換えのない、簡潔そのものの筆致が、
作曲者の人柄を彷彿させます。
きっと「断捨離」の得意な人だったにちがいない。なんて。
毒舌の評論家としても有名で、
容赦なく他人の作品を一刀両断するので、恐れられていたとか。
そのせいで、
ペッテション=ベリエル自身の作品が、死後、過少評価される傾向があったらしい。
(それはもっともと言えましょう……同業の人たちに嫌われちゃうもの)
でも、弾いてみてなんとなくわかった気がするのですが、
この人、きっと自分の作品にもすごく厳しかったんだろうな、と思いました。
ここまでムダのない「ひとふで書き」みたいな曲を残せるなんてすごい、と。
ところで、学生時代に比べて、楽譜を買うことの少なくなったこのごろですが、
やはり「新しい楽譜を手に入れる」というのは、一種独特の、特別感のある体験ですね。
どんなに高額でも、図書館でコピーして済ませてしまうのはやっぱり嫌だな……と思ってしまう。(お財布は苦しくなりますが!)
憧れの曲を自分の手で、楽譜をたよりに音にしてみる、というのはやはり嬉しいことです。
上手く弾けなくて、がっかりすることが多いけど。
さてさて、こちらの本番はどんなことになるやら。
弾くほうも聴くほうも、楽しめるとよいですが。
2011-09-21 17:44
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11-12 井上直幸『象さんの子守唄』 [CD]
は~ やっと1週間が終わった。
日常が戻ってきたと思ったら、もとの忙しさも(なにやら加速度がつく感じで)戻ってきました。
会社にいったん出てしまうと、目まぐるしくて、ゆっくり昼ご飯を食べるひまもない。。。
今週も、1週間、まるまる外食だったな~
こういうのは、やっぱりちょっと疲れます。よくないです。
*****
今回は本の紹介をするはずでしたが、わけあって、このCDを先に。
ピアニスト、井上直幸さんが、亡くなる1カ月前に録音したものです。
自宅のピアノ室で録音されたものなので、残響など望むべくもなく、音質には不満をもつ人がいるかもしれません。
でも、このCDを思うとき、いつも思い出すのは、ひたすら透明感のある音楽、ということです。
音の質ではなくて、演奏しているひとの心が澄んでいる。
そんな感じ。
ドイツの古典・ロマン派の音楽を中心に、忘れられない名演をたくさん聴かせてくれたピアニストですが……
人生最後に録音したのが、モーツァルトのK.1。
亡くなる1カ月まえ、体力も弱っていただろうし、指もかつてのようには動かなかったかもしれない。
そういう状態でも、ピアノを弾きたい、それを録音して残しておきたい、というのは、なみたいていの意志ではないです。
しかもK.1。
超絶技巧の華やかな曲より、音数のすくないシンプルな曲のほうが、音楽にするのは難しい。
すごいなぁ、と思う。
ピアノが本当の自己表現で、弾いているときが、いちばん、生きていると思える時間だったのかな。
根っからの音楽家って、こういうひとのことを言うのでしょうか。
わけあって、というのは、今日が、井上さんの命日だからです。
亡くなって、まる8年。
この歳月、もしもいのちがあったとしたら、いったいどんな演奏を聴かせてくれたでしょうか。
本当に、早すぎるお別れでした。
日常が戻ってきたと思ったら、もとの忙しさも(なにやら加速度がつく感じで)戻ってきました。
会社にいったん出てしまうと、目まぐるしくて、ゆっくり昼ご飯を食べるひまもない。。。
今週も、1週間、まるまる外食だったな~
こういうのは、やっぱりちょっと疲れます。よくないです。
*****
今回は本の紹介をするはずでしたが、わけあって、このCDを先に。
ピアニスト、井上直幸さんが、亡くなる1カ月前に録音したものです。
自宅のピアノ室で録音されたものなので、残響など望むべくもなく、音質には不満をもつ人がいるかもしれません。
でも、このCDを思うとき、いつも思い出すのは、ひたすら透明感のある音楽、ということです。
音の質ではなくて、演奏しているひとの心が澄んでいる。
そんな感じ。
ドイツの古典・ロマン派の音楽を中心に、忘れられない名演をたくさん聴かせてくれたピアニストですが……
人生最後に録音したのが、モーツァルトのK.1。
亡くなる1カ月まえ、体力も弱っていただろうし、指もかつてのようには動かなかったかもしれない。
そういう状態でも、ピアノを弾きたい、それを録音して残しておきたい、というのは、なみたいていの意志ではないです。
しかもK.1。
超絶技巧の華やかな曲より、音数のすくないシンプルな曲のほうが、音楽にするのは難しい。
すごいなぁ、と思う。
ピアノが本当の自己表現で、弾いているときが、いちばん、生きていると思える時間だったのかな。
根っからの音楽家って、こういうひとのことを言うのでしょうか。
わけあって、というのは、今日が、井上さんの命日だからです。
亡くなって、まる8年。
この歳月、もしもいのちがあったとしたら、いったいどんな演奏を聴かせてくれたでしょうか。
本当に、早すぎるお別れでした。
- アーティスト: 井上直幸,モーツァルト,バッハ,C.P.E.バッハ,シューベルト,シューマン,ドビュッシー
- 出版社/メーカー: (株)カメラータ・トウキョウ
- 発売日: 2003/06/20
- メディア: CD
2011-04-22 23:36
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11-2 グリュンフェルト:ピアノ作品集 [CD]
今日は、12月に母が送ってくれたりんごがちょっと元気をなくしてきたので、ジャムを作ろうと思い立ち、例によって台所でこのCDを聴きながら、ことことリンゴを煮込みました。
休日のひととき、なかなかステキな時間の過ごし方だなぁ と一人でご満悦。
*****
アルフレッド・グリュンフェルトって誰?
私は知りませんでしたが、19~20世紀初頭のウィーンで、ピアノのヴィルトゥオーソとして一世を風靡した人らしい。
ピアニストとしての演奏は録音が残っているし、ヨハン・シュトラウスのワルツをピアノ用に編曲したトランスクリプションは知られていた――らしいですが、作曲した作品はほぼ忘れられていたそうな。
その大きな理由は、彼がユダヤ人で、ナチによって作品が上演禁止の憂き目にあったから。
戦争が終わったときには彼はもう亡くなって久しく、復活の機会を逸してしまったようです。
こんな不幸な運命を甘受しなければならなかった音楽家は、多分、彼のほかにもたくさんいるに違いない。
1852年プラハ生まれ、13歳ですでに神童としてコンサート・デビュー。
20歳で移り住んだウィーンがよほど居心地が良かったのだろう、1924年に亡くなるまで演奏旅行以外はこの街を離れなかった。
ヴァイオリンのクライスラーと並び称される人気を博したといい、オペラの作曲でも成功を収めているが、やはり主なジャンルはピアノ。
ソナタとか変奏曲といったオーソドックスな大曲もあるのかもしれないけれど、このCDを聴くかぎり、ワルツ、セレナード、ロマンス、「アルバムの綴り」といった、サロン・ピースが得手だったらしい。
と、こういったことはみんなCDの解説に書いてあります。
ウィーン楽友協会資料館長のオットー・ビーバさんの解説(そして小宮正安さんの翻訳)は、簡にして要を得て、素晴らしいです。
華麗なるサロン・ピースなどと書くと、中身のないイージー・リスニング音楽かと思われそうですが……
グリュンフェルトの音楽は、そういうのとちょっと違うようです。
聴いていて飽きるということがありません。
一体どうしてだろう、なんだろうこの音楽は? と思うので、1回ぜんぶ聴き終わったあとで、またプレイボタンを押してしまう。
そんなことを、この2週間ばかり繰り返しています。ゆうに30回は聴いているんじゃないだろうか。
多分、譜面づらはそんなに難しくないと思う。
でも演奏効果は非常に高い。いわゆる「弾き映えのする」曲。
「華麗な」音楽だけど、大向こうを狙った派手さというより、非常に上品で知的なセンスを感じさせる。
譜面は易しくても、これを音楽として聞かせるには、ピアニストにかなりの技量と想像力を要求するのではなかろうか?
このCDは、曲もいいけど演奏もすごくいいのに違いない……
などなど、聴きながらいろいろ考えるのが楽しい。
多分、演奏のドリス・アダムさんも、グリュンフェルトの音楽が肌に合ったのでは。
ものすごく楽しそうに弾いている。
だから、聴いていると自分も弾きたくなってくるし、踊りだしたくなるようなワクワク感が随所にあふれています。
このCDはデザインもとても印象的で、聴く前からすごく気になっていました。
Peter Severin Kroyer という人の絵(1893)だそうです。
ウィーンの音楽に、どうして浜辺の風景? と思ったけれど、音楽を聴いて納得できたような。
グリュンフェルトの音楽は、きれいな空気と素晴らしい景色を愛でながら、自然のなかをゆったり歩いていくような、(このジャケットの絵のような)音楽なのでした。
CD解説には、グリュンフェルトの肖像、ムジークフェラインで行われた彼の最後のコンサート(1923)の様子など、貴重な写真(質もとても良い)が掲載されていて、聴いて楽しく、読んで楽しいアルバムになっています。
さて。
モーツァルトの音楽を聴かせて醸成したワインは格別美味しいのだそうな。
グリュンフェルトを聴きながら煮込んだ、りんごジャムのお味はいかに?
休日のひととき、なかなかステキな時間の過ごし方だなぁ と一人でご満悦。
*****
アルフレッド・グリュンフェルトって誰?
私は知りませんでしたが、19~20世紀初頭のウィーンで、ピアノのヴィルトゥオーソとして一世を風靡した人らしい。
ピアニストとしての演奏は録音が残っているし、ヨハン・シュトラウスのワルツをピアノ用に編曲したトランスクリプションは知られていた――らしいですが、作曲した作品はほぼ忘れられていたそうな。
その大きな理由は、彼がユダヤ人で、ナチによって作品が上演禁止の憂き目にあったから。
戦争が終わったときには彼はもう亡くなって久しく、復活の機会を逸してしまったようです。
こんな不幸な運命を甘受しなければならなかった音楽家は、多分、彼のほかにもたくさんいるに違いない。
1852年プラハ生まれ、13歳ですでに神童としてコンサート・デビュー。
20歳で移り住んだウィーンがよほど居心地が良かったのだろう、1924年に亡くなるまで演奏旅行以外はこの街を離れなかった。
ヴァイオリンのクライスラーと並び称される人気を博したといい、オペラの作曲でも成功を収めているが、やはり主なジャンルはピアノ。
ソナタとか変奏曲といったオーソドックスな大曲もあるのかもしれないけれど、このCDを聴くかぎり、ワルツ、セレナード、ロマンス、「アルバムの綴り」といった、サロン・ピースが得手だったらしい。
と、こういったことはみんなCDの解説に書いてあります。
ウィーン楽友協会資料館長のオットー・ビーバさんの解説(そして小宮正安さんの翻訳)は、簡にして要を得て、素晴らしいです。
華麗なるサロン・ピースなどと書くと、中身のないイージー・リスニング音楽かと思われそうですが……
グリュンフェルトの音楽は、そういうのとちょっと違うようです。
聴いていて飽きるということがありません。
一体どうしてだろう、なんだろうこの音楽は? と思うので、1回ぜんぶ聴き終わったあとで、またプレイボタンを押してしまう。
そんなことを、この2週間ばかり繰り返しています。ゆうに30回は聴いているんじゃないだろうか。
多分、譜面づらはそんなに難しくないと思う。
でも演奏効果は非常に高い。いわゆる「弾き映えのする」曲。
「華麗な」音楽だけど、大向こうを狙った派手さというより、非常に上品で知的なセンスを感じさせる。
譜面は易しくても、これを音楽として聞かせるには、ピアニストにかなりの技量と想像力を要求するのではなかろうか?
このCDは、曲もいいけど演奏もすごくいいのに違いない……
などなど、聴きながらいろいろ考えるのが楽しい。
多分、演奏のドリス・アダムさんも、グリュンフェルトの音楽が肌に合ったのでは。
ものすごく楽しそうに弾いている。
だから、聴いていると自分も弾きたくなってくるし、踊りだしたくなるようなワクワク感が随所にあふれています。
このCDはデザインもとても印象的で、聴く前からすごく気になっていました。
Peter Severin Kroyer という人の絵(1893)だそうです。
ウィーンの音楽に、どうして浜辺の風景? と思ったけれど、音楽を聴いて納得できたような。
グリュンフェルトの音楽は、きれいな空気と素晴らしい景色を愛でながら、自然のなかをゆったり歩いていくような、(このジャケットの絵のような)音楽なのでした。
CD解説には、グリュンフェルトの肖像、ムジークフェラインで行われた彼の最後のコンサート(1923)の様子など、貴重な写真(質もとても良い)が掲載されていて、聴いて楽しく、読んで楽しいアルバムになっています。
さて。
モーツァルトの音楽を聴かせて醸成したワインは格別美味しいのだそうな。
グリュンフェルトを聴きながら煮込んだ、りんごジャムのお味はいかに?
2011-01-16 13:16
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10-46 ハイドン ピアノ・トリオ [CD]
やっと、ようやく、休みに入りました~
すごい解放感。
会社が休みになってこれほど嬉しいとは珍しい。(←仕事中毒)
ちょっと、忙しすぎましたから。
今日は良いお天気だったので、洗濯したり布団を干したりしながら、台所を綺麗にしました。
1年分のホコリを落としてすっきり。
で、例によって、台所で仕事をしながら聴いて、改めて感動したのが……
*****
ハイドンのピアノ・トリオ作品集(2 vols)。
演奏はフロレスタン・トリオ。
このトリオのリーダーはピアノのスーザン・トムス。
でもチェロのリチャード・レスターの存在感もすごく大きい。
ヴァイオリン(アンソニー・マーウッド)ももちろん……というわけで、3人が3様の個性と主張をもってアンサンブルをしているので、とても聴き応えがあります。
久しぶりにこのピアノ・トリオのCDを取り出して聴いてみて、やっぱり、ハイドン、いいなぁと思った。
乾いた心に水がしみこむように、音楽がしみてくる。
音楽のおかげで、人間に戻れる、という感じ。
ハイドンは何を聴いても同じ、というのは大きな誤解で、これほど、1曲1曲に「これでもか」とばかり創意をこらした人も珍しいと思う。
「マンネリ」の量産型作曲家とは全然ちがうのです。
凝り性というか、職人魂というか。
場をわきまえたマナーを決して踏み外さず、いかにして、目新しさ、新鮮な驚きを、聴く人に与えるか。
ハイドンはそういう挑戦をしていた音楽家なんだろうなと思う。
ピアノ・トリオなのに、ある楽章ではえんえんとピアノが一人でフーガ的なパッセージを弾きつづけたり……
ものすごく大胆なことをハイドンは時々やる。
そして、かっちりとした古典の形式(枠)の中から、抑えようもなくあふれだしてくる歌。
そういう時には彼は確信犯。
感情に身を委ねて思う存分に歌う。
「大人の」音楽、なんだなー
すごい解放感。
会社が休みになってこれほど嬉しいとは珍しい。(←仕事中毒)
ちょっと、忙しすぎましたから。
今日は良いお天気だったので、洗濯したり布団を干したりしながら、台所を綺麗にしました。
1年分のホコリを落としてすっきり。
で、例によって、台所で仕事をしながら聴いて、改めて感動したのが……
*****
ハイドンのピアノ・トリオ作品集(2 vols)。
演奏はフロレスタン・トリオ。
このトリオのリーダーはピアノのスーザン・トムス。
でもチェロのリチャード・レスターの存在感もすごく大きい。
ヴァイオリン(アンソニー・マーウッド)ももちろん……というわけで、3人が3様の個性と主張をもってアンサンブルをしているので、とても聴き応えがあります。
久しぶりにこのピアノ・トリオのCDを取り出して聴いてみて、やっぱり、ハイドン、いいなぁと思った。
乾いた心に水がしみこむように、音楽がしみてくる。
音楽のおかげで、人間に戻れる、という感じ。
ハイドンは何を聴いても同じ、というのは大きな誤解で、これほど、1曲1曲に「これでもか」とばかり創意をこらした人も珍しいと思う。
「マンネリ」の量産型作曲家とは全然ちがうのです。
凝り性というか、職人魂というか。
場をわきまえたマナーを決して踏み外さず、いかにして、目新しさ、新鮮な驚きを、聴く人に与えるか。
ハイドンはそういう挑戦をしていた音楽家なんだろうなと思う。
ピアノ・トリオなのに、ある楽章ではえんえんとピアノが一人でフーガ的なパッセージを弾きつづけたり……
ものすごく大胆なことをハイドンは時々やる。
そして、かっちりとした古典の形式(枠)の中から、抑えようもなくあふれだしてくる歌。
そういう時には彼は確信犯。
感情に身を委ねて思う存分に歌う。
「大人の」音楽、なんだなー
2010-12-29 21:02
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10-37 御喜美江 グリーグ抒情小曲集 [CD]
先日の日曜日、久しぶりに礼拝でオルガンを弾きました。
家の近くの小さな教会で、月1回くらい、奏楽奉仕をしています。
音楽の原点に帰るような、貴重な時間。
礼拝の始まりはいつもとても緊張しますが、終わったあとの充足感は何にも代えがたいです。
オルガン、と言っても立派なパイプがたくさん付いているような楽器ではなくて、足踏み式。
ぶかぶかと足で漕いで空気を送りながら演奏する、むかし懐かしい楽器です。
今どき足踏みオルガンですか~ あらまぁ と、最初は思った。
(小さな教会だと、こういう楽器を置いているところも多い。)
でも最近は、「空気(息)の通う楽器」の良さをつくづく感じるようになりました。
礼拝での奏楽は賛美歌の伴奏がメインなので、会衆の歌と呼吸を合わせることが大事。
足踏みオルガンは、「息つぎ」を上手にしないと、肝心なところで音が小さくなったり消えたりする。
「歌」にすごく近い楽器なのです。
*******
御喜美江さんの演奏する『抒情小曲集 ~アコーディオンのグリーグ』。
いつかはご紹介したいと思っていた、大切な1枚です。
アコーディオンも鍵盤とふいごで楽音をつくる楽器。
なんだか特殊な楽器のように思われるかもしれませんが、「音楽する」という点では、ピアノでもヴァイオリンでもオーケストラでも同じ。
御喜さんの音楽は、なんだかとってもあったかくて、伸びやかに大きい。
細やかな抒情と、アグレッシヴな大胆さと。
そのバランスが絶妙だなぁと、聴くたびに感心してしまいます。
とても高い技術をもっているのに、超絶技巧を聴かせるとか、自分の解釈や意図を聴かせるとか、そういう次元はとうに超えてしまって、音楽だけが無心にそこにある、そういう感じ。
そんな御喜さんの演奏が好きで、何かというと取り出して聴いているのが、前にも紹介した『ポエム・ハーモニカ』(崎元譲さんとの共演)と、この『グリーグ』です。
(実はもう1枚あるのだけど…… それはまた改めて。)
なじみぶかい名曲もいくつか入っていますが、ピアノで聴くのと全然違う印象。
むしろアコーディオンで聴いて初めて、この曲の面白さがわかったような気がします。
聴きやすいCDなので、ぜひ。
9月半ばにはリサイタルがあって、行くつもり……こちらもお勧めです。
http://www.crystalarts.jp/topics/topics.php?code=1267511807
家の近くの小さな教会で、月1回くらい、奏楽奉仕をしています。
音楽の原点に帰るような、貴重な時間。
礼拝の始まりはいつもとても緊張しますが、終わったあとの充足感は何にも代えがたいです。
オルガン、と言っても立派なパイプがたくさん付いているような楽器ではなくて、足踏み式。
ぶかぶかと足で漕いで空気を送りながら演奏する、むかし懐かしい楽器です。
今どき足踏みオルガンですか~ あらまぁ と、最初は思った。
(小さな教会だと、こういう楽器を置いているところも多い。)
でも最近は、「空気(息)の通う楽器」の良さをつくづく感じるようになりました。
礼拝での奏楽は賛美歌の伴奏がメインなので、会衆の歌と呼吸を合わせることが大事。
足踏みオルガンは、「息つぎ」を上手にしないと、肝心なところで音が小さくなったり消えたりする。
「歌」にすごく近い楽器なのです。
*******
御喜美江さんの演奏する『抒情小曲集 ~アコーディオンのグリーグ』。
いつかはご紹介したいと思っていた、大切な1枚です。
アコーディオンも鍵盤とふいごで楽音をつくる楽器。
なんだか特殊な楽器のように思われるかもしれませんが、「音楽する」という点では、ピアノでもヴァイオリンでもオーケストラでも同じ。
御喜さんの音楽は、なんだかとってもあったかくて、伸びやかに大きい。
細やかな抒情と、アグレッシヴな大胆さと。
そのバランスが絶妙だなぁと、聴くたびに感心してしまいます。
とても高い技術をもっているのに、超絶技巧を聴かせるとか、自分の解釈や意図を聴かせるとか、そういう次元はとうに超えてしまって、音楽だけが無心にそこにある、そういう感じ。
そんな御喜さんの演奏が好きで、何かというと取り出して聴いているのが、前にも紹介した『ポエム・ハーモニカ』(崎元譲さんとの共演)と、この『グリーグ』です。
(実はもう1枚あるのだけど…… それはまた改めて。)
なじみぶかい名曲もいくつか入っていますが、ピアノで聴くのと全然違う印象。
むしろアコーディオンで聴いて初めて、この曲の面白さがわかったような気がします。
聴きやすいCDなので、ぜひ。
9月半ばにはリサイタルがあって、行くつもり……こちらもお勧めです。
http://www.crystalarts.jp/topics/topics.php?code=1267511807
2010-08-31 22:59
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10-20 『ポエム・ハーモニカ』 [CD]
20コめの記事になりました。
飽きっぽいのによく続きました~ 祝。^^
崎元譲さん(ハーモニカ)と御喜美江さん(アコーディオン)のCD『ポエム・ハーモニカ』。
仕事のつまらないゴタゴタとか、そこはかとない家庭内不和とか(;;)。
大事件ではないけれど、小さな気がかりがボディブロウのように効いて、本を読んだり音楽を聴いたりする元気もなくなったとき……このCDを取り出します。
今まで、いったい何回聴いたかな。
多分このCDとは、10年近い付き合いだと思う。
たいていは、台所で料理をしながら、小さなラジカセにCDをセットする。
冒頭、「主よ、人の望みの喜びよ」が流れ出すと……
心の緊張がふわっとほぐれていくのを感じます。
やっぱり、バッハは偉大だ……
これがピアノだったり管弦楽だったら、こういう時はたぶん聴けないと思う。
ハーモニカとアコーディオンだからいいのだ。
このあったかさ。親密さ。なんとなく、つつましやかで善良な感じ。
タイトル・ピースになっている『ポエム・ハーモニカ』は、三宅榛名さんの作品。
なごみ系の小品が並ぶなかで、アルバムのちょうど真ん中に、こつんと異質な強度のあるこの作品が置かれている。
聞き流して、いつのまにかCDをかけていることを忘れていても、この曲が始まると、ふっと意識がCDに戻る。
異色のアーティスト2人の組み合わせだから、この選曲・配列は演奏者ではなくて、制作者によるものかも。
この曲が、このアルバムの性格を決定づける「核」になる、と考えた制作者に共感。
詳しい情報は、下記のサイトでご覧ください。
http://www.camerata.co.jp/J/cd/cm6/674.html
↓ のamazon では、なぜかジャケットの裏表紙が出ています。
どうしたのかな?
でもこの間違いのおかげで、崎元さんと御喜さんの笑顔のツーショットが見られますね。
飽きっぽいのによく続きました~ 祝。^^
崎元譲さん(ハーモニカ)と御喜美江さん(アコーディオン)のCD『ポエム・ハーモニカ』。
仕事のつまらないゴタゴタとか、そこはかとない家庭内不和とか(;;)。
大事件ではないけれど、小さな気がかりがボディブロウのように効いて、本を読んだり音楽を聴いたりする元気もなくなったとき……このCDを取り出します。
今まで、いったい何回聴いたかな。
多分このCDとは、10年近い付き合いだと思う。
たいていは、台所で料理をしながら、小さなラジカセにCDをセットする。
冒頭、「主よ、人の望みの喜びよ」が流れ出すと……
心の緊張がふわっとほぐれていくのを感じます。
やっぱり、バッハは偉大だ……
これがピアノだったり管弦楽だったら、こういう時はたぶん聴けないと思う。
ハーモニカとアコーディオンだからいいのだ。
このあったかさ。親密さ。なんとなく、つつましやかで善良な感じ。
タイトル・ピースになっている『ポエム・ハーモニカ』は、三宅榛名さんの作品。
なごみ系の小品が並ぶなかで、アルバムのちょうど真ん中に、こつんと異質な強度のあるこの作品が置かれている。
聞き流して、いつのまにかCDをかけていることを忘れていても、この曲が始まると、ふっと意識がCDに戻る。
異色のアーティスト2人の組み合わせだから、この選曲・配列は演奏者ではなくて、制作者によるものかも。
この曲が、このアルバムの性格を決定づける「核」になる、と考えた制作者に共感。
詳しい情報は、下記のサイトでご覧ください。
http://www.camerata.co.jp/J/cd/cm6/674.html
↓ のamazon では、なぜかジャケットの裏表紙が出ています。
どうしたのかな?
でもこの間違いのおかげで、崎元さんと御喜さんの笑顔のツーショットが見られますね。
2010-04-28 23:06
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10-1 マメリ 『アリアンナの嘆き』 [CD]
ソプラノ歌手、ロベルタ・マメリさんのCD『アリアンナの嘆き』を聴く。
つのだたかしさんがプロデュース+伴奏(リュートなど)をしていて、メゾソプラノの波多野睦美さんが共演している(全12曲のうち3曲)。
今月はじめにおこなわれたリサイタル(こちらは『ディドーネの嘆き』というタイトル)を聴いて、あまりの素晴らしさに思わずCDを買い、サインまでもらってしまった。
身体の底から鳴り響く声と、ものすごい表現力。
第一声で一気に心身ともに覚醒してしまった感じで、あとは2時間があっという間。
その夜は頭が冴えてしまって、何度も目が覚めてしまった。
こんな歌手、こんな歌、聴いたことがない。
小さな会場で(補助席がたくさん出ていたけれど)、こんなにお客さんが少ないのはもったいない、もっと多くの人に聴いてほしい、と思ったのが半分、あんまり人に知られたくないという思いが半分。
CDの曲目はリサイタルと重なる曲も多く、変化に富んでいて楽しい。
モンテヴェルディ、サンチェス、ストロッツィなど。
あの波多野睦美さんとのデュオは、まるで火花が散るみたいな「競演」に聞こえるときもあれば、まるで一人の歌手が歌っているみたいに溶け合う瞬間まで、これもなかなか聴けない刺激的な名演だと思う。
CDには入っていないのだけど、リサイタルの白眉は、タルクィニオ・メルラの《さあ 眠りなさい》だった。
幼子イエスをあやすマリアの子守唄なのだが、やがて十字架にかかるイエスの凄惨な幻視に惑乱しながらも、「いまは、さあ、穏やかに眠りなさい」と慈しみに満ちた深い声でうたうマリア。
受難節のこの時期に聴かせてくれたのがとても嬉しかった、忘れがたい一曲。
CD: Pardonレーベル、2008年録音
リサイタル: 2010年3月2日、日本福音ルーテル東京教会、ダウランド・アンド・カンパニイ主催
つのだたかしさんがプロデュース+伴奏(リュートなど)をしていて、メゾソプラノの波多野睦美さんが共演している(全12曲のうち3曲)。
今月はじめにおこなわれたリサイタル(こちらは『ディドーネの嘆き』というタイトル)を聴いて、あまりの素晴らしさに思わずCDを買い、サインまでもらってしまった。
身体の底から鳴り響く声と、ものすごい表現力。
第一声で一気に心身ともに覚醒してしまった感じで、あとは2時間があっという間。
その夜は頭が冴えてしまって、何度も目が覚めてしまった。
こんな歌手、こんな歌、聴いたことがない。
小さな会場で(補助席がたくさん出ていたけれど)、こんなにお客さんが少ないのはもったいない、もっと多くの人に聴いてほしい、と思ったのが半分、あんまり人に知られたくないという思いが半分。
CDの曲目はリサイタルと重なる曲も多く、変化に富んでいて楽しい。
モンテヴェルディ、サンチェス、ストロッツィなど。
あの波多野睦美さんとのデュオは、まるで火花が散るみたいな「競演」に聞こえるときもあれば、まるで一人の歌手が歌っているみたいに溶け合う瞬間まで、これもなかなか聴けない刺激的な名演だと思う。
CDには入っていないのだけど、リサイタルの白眉は、タルクィニオ・メルラの《さあ 眠りなさい》だった。
幼子イエスをあやすマリアの子守唄なのだが、やがて十字架にかかるイエスの凄惨な幻視に惑乱しながらも、「いまは、さあ、穏やかに眠りなさい」と慈しみに満ちた深い声でうたうマリア。
受難節のこの時期に聴かせてくれたのがとても嬉しかった、忘れがたい一曲。
CD: Pardonレーベル、2008年録音
リサイタル: 2010年3月2日、日本福音ルーテル東京教会、ダウランド・アンド・カンパニイ主催